黒川律

コラム

【週刊 AI 懐疑論 #20】AI利用を広げる前に、止め方を決められるか

生成AIの導入議論は、相変わらず「どこまで使えるか」に寄りがちです。文章作成、検索、コード補助、社内問い合わせ対応。使い道を並べれば、確かに業務改善の余地は多い。けれど、週刊 AI 懐疑論として今見ておきたいのは、利用拡大そのものではありま...
コラム

【週刊 AI 懐疑論 #19】AIの利便性は、誰のコストで成り立っているのか

生成AIをめぐる議論では、使えるかどうかが先に問われがちです。文章を要約できる。画像を作れる。検索や企画の初動を速くできる。確かに、それは便利です。しかし、便利さだけを基準にすると、見えなくなるものがあります。AIが何を学習し、誰の表現や情...
コラム

【週刊 AI 懐疑論 #18】AI導入で先に失われるのは、作業時間ではなく判断の所在です

生成AIを業務に入れるとき、多くの組織はまず「どれだけ速くなるか」を見ます。議事録、調査、コード生成、問い合わせ対応。確かに短期の効率は測りやすい。けれど、そこで見落とされやすいのは、作業そのものではなく、判断の一部がどこへ移ったのかという...
コラム

【週刊 AI 懐疑論 #16】AIガイドラインは、導入判断の代わりにはならない

生成AIの利用指針が整ってきたことは、組織にとって前進です。政府や公的機関が基本的な注意点を示し、企業や現場がそれを参照できるようになったことで、少なくとも「何に気をつけるべきか」を話し合う土台はできました。ただし、ここで一つ警戒すべきこと...
コラム

【週刊 AI 懐疑論 #14】週刊 AI 懐疑論 #14:生成AIを使う前に、誰が止めるのか

生成AIの導入判断では、できることの広がりに目が向きがちです。しかし実務で問われるのは、どのツールを使うかだけではありません。誰が利用を許可し、誰が出力を確認し、どの時点で止めるのか。そこが曖昧なまま導入だけが進むと、便利さは統制の空白を広...
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【週刊 AI 懐疑論 #13】週刊 AI 懐疑論 #13:生成AIは、導入より運用で差がつく

生成AIの議論は、まだ「使うか、使わないか」に寄りがちです。しかし実務で本当に差が出るのは、その手前の賛否ではなく、使い始めた後の運用設計です。便利な道具であることは、もはや疑いにくい。一方で、便利であることと、組織として任せられることは別...
コラム

【週刊 AI 懐疑論 #12】週刊 AI 懐疑論 #12:AIを叱れば賢くなる、という危うい期待

AIを使う現場では、プロンプトを磨くことが一種の技能になっています。うまく答えないAIに対して「もっとよく考えて」と指示すると出力が改善する、という話も珍しくありません。ただ、この現象を「AIは人間の指導で成長する」と受け止めると、少し危う...
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【週刊 AI 懐疑論 #11】週刊 AI 懐疑論 #11:便利なAI利用は、責任の所在を薄くする

生成AIの導入が進むほど、組織の中では奇妙なことが起きます。作業は速くなり、選択肢は増え、文章やコードの初稿は簡単に出てくる。一方で、その成果物について「誰が判断したのか」は見えにくくなります。問題は、AIが間違えることだけではありません。...
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【週刊 AI 懐疑論 #10】週刊 AI 懐疑論 #10:生成AIの管理は、利用禁止よりも説明責任から始まる

生成AIのリスクを語るとき、議論はしばしば利用するか、禁止するかに寄りがちです。けれど実務で本当に難しいのは、その二択ではありません。誰が、どの判断に、どの程度AIを関与させたのかを後から説明できる状態にしておくことです。生成AIは、業務の...
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【週刊 AI 懐疑論 #9】週刊 AI 懐疑論 #9:AIの飢えを、誰が引き受けるのか

生成AIをめぐる議論は、性能向上の物語として語られがちです。しかし、その裏側で起きているのは、より大きな入力を必要とするシステムが、社会のどこまでを資源として扱うのかという問いです。データ、著作物、会話、秩序。その境界が曖昧なまま、導入判断...