生成AIの「導入事例」が増え続けている。業務効率化、コスト削減、生産性向上——そうした成果が、各社の発表やメディアを通じて積み上がっていく。だが立ち止まって考えると、それらの多くは「体感として速くなった」「以前より楽になった」という感想に近い。比較基準が曖昧なまま「効果あり」と結論づけられているケースは、思っている以上に多い。
測定されていない成果は、成果ではない
SBビジネスITの報告(参照)が示すように、国内企業のAI活用は「試験導入」から「本格展開」へと移行しつつある。だが「本格展開」が意味するのは、利用者数や対象業務の拡大であって、必ずしも成果の厳密な評価ではない。
問題は測定の不在だけではない。測定の設計がそもそも存在しない、という構造にある。導入前に「何をもって成功とするか」を定義していなければ、導入後にどんな結果が出ても「一定の効果があった」と言える。この曖昧さが、AI投資の正当化に都合よく機能している。
見えていないコストがある
ICRニュースレター(参照)が指摘するように、AI活用の議論では「できること」の拡張に注目が集まりがちだ。一方で、AIを維持・運用するために生じる新たな負荷——プロンプト管理、出力の品質確認、ハルシネーション対応、ガバナンス整備——は、コストとして可視化されにくい。
これらは多くの場合、既存メンバーの「ちょっとした作業」として吸収される。吸収されるがゆえに、コストとしてカウントされない。結果として、「AIで工数が減った」という報告の裏側で、別の場所に工数が移転しているだけのケースが生まれる。
「成功事例」の語り方が作る認知の歪み
日経BPの論考(参照)が触れるように、AI活用の「成功事例」は構造的にポジティブなものが選ばれやすい。失敗事例は共有されにくく、うまくいかなかったプロジェクトは静かにフェードアウトする。メディアや業界カンファレンスで語られる事例は、サバイバーバイアスがかかっている。
現場の実態として、AIが導入されたことで「確認作業が増えた」「出力の精度が低くて結局手直しが必要」「ツールの乱立で逆に混乱している」という声は少なくない。だがそうした声は、公式な発表の場にはなかなか出てこない。
懐疑論は悲観論ではない
誤解を避けるために言っておく。生成AIに価値がないと言いたいわけではない。実際に業務の質が上がっているケースはあるし、一部の用途では明確な改善効果が確認されている。
問題は、その価値が「検証なしに信じられている」ことだ。根拠なく信じられた効果は、根拠なく否定されるリスクも持つ。ある日突然「やっぱりAIは使えなかった」という振り子が来たとき、それまでの投資と組織変更はどう説明されるのか。
今必要なのは、AIへの賛否を決めることではなく、「何を根拠に判断しているか」を問う習慣だ。効果があるなら、それを示せる形にする。コストがあるなら、それを見える場所に置く。その地道な作業こそが、AI活用を持続可能なものにする唯一の道だと思っている。
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参考文献
- https://www.sbbit.jp/article/cont1/178534
- https://www.icr.co.jp/newsletter/wtr434-20250529-mizuno.html
- https://bookplus.nikkei.com/atcl/column/112000603/112800005/

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